歯みがき粉が残り少なくなったときに我が家ではこうしています。
適当なところで容器を切ります。
これで中身が使えるようになります。
使った後は乾燥しないように、
上半分を被せて蓋にしておきます。
中身を使うときは、上半分の方、蓋にしたときに下半分に重なるあたりから使っていくと容器が汚れにくくてよいです。
容器を切ってからは中身が空気に多く触れる状態になりますので、早めに使い切るようにしています。(本当に出なくなるまで容器を切らない)
また、中の歯みがき粉を取るときは清潔なもので。
※なおチューブ容器に入った食品(おろし生姜とか)に対してこのようにする場合は、容器を切った後は他の入れ物に移すなどが必要かと思います。我が家ではそういう食品を使っていないので、それについては考えたことがありませぬ。
「捨てなくてもいいか」というベクトル
歯みがき粉ひとつくらい、出なくなったらそこで新しいものにすればいいという考え方もあり、それも正解です(手間をかける余裕がないときはそちらを選ぶ方がよい)。今のところ私は、まだ使えるものを捨てる必要もないしなあと思うのと、全部使い切るとスッキリするので冒頭の方法が気に入っています。
「わざわざ捨てなくてもいいな」という考え方は、無駄をなくすことに自然と繋がっていくように思います。捨てることもできるし、捨てても損失になるほどじゃない。でもまあ、使えるなら捨てることもないか。そんなら使おう。・・・という無理のない思考で「使い切れた」に辿り着く。
これ、意外とメンタルによいんですよ。
「容器から出なくなったから捨てる」というときの心を詳細に見てみますと「容器から出なくなったから(まだ中にちょっとあるってわかってるけど)捨てる」という具合なんではないでしょうか。カッコ内の声が、本当の本当は微妙に心に引っかかっていたりするわけです。罪悪感だとか大仰に言うほどでもないこの声はとてもかすかなので、無視をしてしまっても日常に差し支えはありません。
でも、せっかくあるこの声を掬い上げて対応したら、なんとなく幸せになると思うんですよね。さっと交換するより手間はかかるとしても、ここはメンタルを優先してもよいと私は考えています。地味ですけど(笑)。ほんとに地味だけど、こういう声を無視するか聞くか、という分岐ってきっと生活の中にいくつもあるので、「塵も積もれば山」とするなら、「無視」と「聞く」どちらの塵を積もらせるか、ここに大きな意味が隠れているかもしれません。
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