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シャツを漂白しながら思うこと

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夫のシャツを漂白しました。

つけおき。

襟元の黄ばみと黒ずみがだいぶ目立っていましたが、漂白剤に浸け置きをした後、洗濯して乾かしたらキレイになりました。

上:漂白前
下:漂白後

人間は代謝している
襟元の黄ばみの原因は、主に皮脂だそうで。
それが布に染み付き酸素に触れるうちに黄変してくると、そんなことなんですが、こういうのを見ると人体のメカニズムというのを思うのですよね。

皮脂や汗などで体内の不要なものを排出するとか、体温を適切に保つとか。
古い細胞を新しくしながら身体を維持するとか。
自分では何もしていないつもりでも、身体の方が必要に応じて働いてくれて人間は生きているわけです。
このおかげで夫が元気にしていてくれるのですからありがたいもの。

・・・とかね。

いや、マジメっぽいこと言ってますが、そんなふうに思うようになったのは自分が仕事を辞めてからです。
働いてた頃は忙しかったですから、まさかそんな殊勝なことなんて考えられるわけもなく(笑)「あぁシャツ汚れてきた・・・漂白か・・・」的なね。

だってめんどくさいじゃんね、お湯沸かすとか浸け置きするとか・・・。
(やれば白くなるから達成感はあるけども)

面倒である。だがしかし。
まあ作業としては手間なんですが、やはり白いシャツの良さを諦めることはできないとなれば、やらねばならんのですよね。

人体には代謝という仕組みがあって、これは常時稼働が必須である。
布(洋服)には、人体から排出された汚れが染み付く性質がある。
その汚れには、空気に触れることによって(酸化して)黄色くなる性質がある。そして普段の洗濯で落としきれないことが多い。
なおかつ、そういった汚れを一瞬で消滅させられる洗剤は今のところない。
(そんな強烈な洗剤、なんか危険物っぽいし)

という中、我々が取れる最善の対策が漂白であるわけです。
そう考えると、漂白剤ってものが開発されていて一般家庭で手軽に使えるこの世の中はとてもスゴイのかもしれない。

つまりは考え方ひとつ
結局、「漂白か~面倒だなぁ」と思うことも、「漂白剤があるって素晴らしい」と思うことも、どっちもあるのよね。

で、「素晴らしい」バージョンの気分でずっといられればいいんだけど、そんなわけないっちゅうお話でして(笑)。
だって好きなことでさえ気が乗らないときってもんが存在するんですから、家事を毎日気合い充分でやり続けようなんて、そりゃ現実的じゃありません。

私の場合ですと、疲れていて面倒だなと思っても「でもやらなきゃ」って無理やり作業をしていた頃がありました。

これは「面倒なんだけど、やらずに置いておくより無理をしてでも終わらせてしまった方がタスクを消化できて気が楽になる」という思考によるものです。
見方を変えると「タスクを残しておけない」というか。
ちょっとタスクに追われている感じもありますね。自分がタスクに負けている。

仕事の進捗として見ればこれはいいことでもあるんだけど、程度問題という点で考えるのなら、一度立ち止まって自分のコンディションとタスクの内容を天秤にかけることもできた方がいいです。
自分が疲れていて、そして作業自体は今すぐやらなくてもいいものであるなら、無理にやらずに自分を休ませる選択をする方がよい場合があるということです。

会社の仕事もそうですけど、家事もやろうと思えば尽きることなくタスクは生まれ出てきますから(白目)。

前回の記事で述べたように、先延ばしにするのも疲れることではあるので本当にケースバイケースですが、タスクとして置いといてタイミングを待つというやり方もあると思います。
人間は「これ1つしか選べない」という状況に大いにストレスを感じますから、「すぐやる」と「あとでやる」のどちらも選べるような心と時間のゆとりを持てることが一番なんでしょうね。

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