何かの商品について、あるいはノウハウなどの情報について、探し始めると「オススメ」がいろいろ出てきますけども、オススメってやつにも付き合い方があるんだなというネタです。
オススメのはずなんだけど・・・
オススメ情報に乗ってみたけど、アレ? ってなった経験があります。以下に一例を。
◆「週末にまとめておかずの下拵えをしておいて、平日の調理は仕上げだけ」という家事テク
⇒やってみたら、買い物のあと下拵えから片付けまで全部終わらせるのにけっこう時間と体力が要ることが分かりました。平日の負担が軽くなるとしても、週末にかかる負荷の方が我が家には大きすぎるということで断念。
◆吸水性のいい厚手のバスマット
⇒洗濯のときの乾きにくさがネックで、買い替えの際は別のものにしました。
さて、こんな場合に、脳をかすめる小さな不満があることに、あるとき気付きました。
「いろんなサイトにいいって書いてあったのに」みたいなやつです。
でもそれ、ちょっとおかしくありませんか。
「いいって書いてあったサイトが悪い」とまでは言わないけど、どうもそのサイトに私が寄りかかってしまってます。
これ、まとめておかずを下拵えしておく方がうまくいくという人もいるし、バスマットの乾きにくさよりも吸水性や厚さ(踏み心地)が大事な人もいるというだけのことで、情報そのものやそれをオススメしていたサイトは悪くないんです。
私には合わなかったというだけで。
そもそも「オススメ」というのは「その人から見たオススメ」というほどの意味です。その人と自分は別の個体ですから、「それは私に合うのか」という、自分のフィルターを通した精査がまず必要です。
そして、そのオススメを採用するか否かを決めるのは自分で、採用したなら、その(他者発信の)オススメを自分のものにしていくのもまた自分なんですね。
これね、いやいや当たり前でしょって思うんですけど、というか当時の私もそう思ってたんですけど、本当にこの意識でもって情報に接していれば「いろんなサイトにいいって書いてあったのに」という不満は発生のしようがないんです。
そしてここに気付けば、そのような不満は持たなくて済むようになります。
加えて、何かを選ぼうとするときに「これは○○なところが私には合わなさそう」というのが見えやすくなります。
私に合うものを探そう
オススメ情報は自分を知るきっかけでもあり、他人を知るきっかけでもあるんですね。
他の誰かに合うものが自分に合わないこともあり、その逆もあり、というのを見るにつれて、本当に人ってそれぞれでしかないというか、比べても何にもならんもんだなと思います。
で、それぞれでしかないからこそ、私に合うものは私が探す、私が選ぶというだけのシンプルな事実。
情報がいくらでもある時代だからこそ、選び方を(たまに忘れながら)忘れないように持っておきたいものです。
コメント