前回に関連して、旬の野菜を買うことの個人的なメリットを。
「季節限定品」が増える楽しさ
一年中売られている野菜でも、自分がそれを買うのは旬の時期だけ。
このようにしたとき、その野菜は「一年中あるもの」ではなくなります。旬の間だけの限定品になります。限定品という言葉に弱いわけではなくても、この野菜は今だけ、と思うと、やはり何か際立って見えてくるものです。
季節を感じるということ
そして旬を意識すると、スーパーの野菜売り場に季節感が増してきます。豆が何種類か並び始めるともう春が近いな、とか(私は山菜よりも豆に春を感じるらしい)。山菜やタケノコなど本当に採れる時期にしか売り場に出ないものを一年ぶりに目にした瞬間は、懐かしい人に再会したような親近感を覚えてちょっと嬉しかったりもします。季節の変わり目の買い物は興味深いです。
夫が育てている野菜も、おのおのに適切な時期を選んで大きく伸びていき、旬の野菜はみんな主役なんだと思わされます。そして季節が変わるとまた別の野菜が主役になり、順番に交代しながら一年を作っていきます。そうした目でスーパーの野菜売り場を見た場合、私にはそれら商品がただひとかたまりの「野菜」ではなくて「小松菜」「かぶ」「里芋」など「個」として映るようになりました。もちろんそれまでも、野菜一つ一つの名前や形は認識していたのですけど、その個別性がさらにはっきり感じられるようになったのだと思います。これはおもしろいですよ。
これも「豊かさ」
旬に注目することで、野菜のコストパフォーマンス(栄養価と価格のバランス)もさることながら精神的な豊かさが広がったというのが、かつての私の新しい発見でした。
また、旬というキーワードを入口に野菜への関心が高まるということですから、調理法を工夫したり、使ったことのない野菜を試しに買ってみたりという行動を自然と取るようになりました。すると、野菜の扱い方(あく抜きなど下拵えの方法や、加熱の要否など)を覚え、味を知り、そうして増えた知識と経験によって食卓の内容も少しずつ充実していったように思います。
以前の記事にも書きましたが、私は特に料理好きというわけでもありません(一人暮らしだったら、恐らくこれほど料理などしないんではないかと)。生活の質を少しでも保とうという意思(意地)を頼りに料理をしていたようなものでしたが、予想外の方向から豊かさが転がってくることもあるもんだと、この記事を書いていて改めて発見した気分です。
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